お尻から電池が出てきました

海江田和記です。

私は子供が生まれてから
4年ぐらい生産性というものを
すごく追求してきました。

そして、そのおかげで
スケジュールがガラガラになり
誰とも打ち合わせがほとんど入らないような
自分が理想とした形を昨年手に入れました。

毎日朝起きたときに
スケジュールが入っていないと
ジムにいったり、カフェに行って仕事をしたり
何でも自由にできるようになりました。

理想の人生を手に入れたと思った
そんなある時・・・・

私の大好きなクライアントに
衝撃の一言を言われたのです。

「海江田さんに会いたいけど
メルマガでよく生産性とか
なるべく人と会わないって言ってたので
誘いにくい空気がありますよね。」

私はその言葉を聞いて

「自分ってそんな風に思われていたのか」

と、思うと同時に、、、

確かにここ数年の生き方って
そう思われるような生き方だったなって思いました。

スケジュールがガラガラで
ほぼ打ち合わせがない状態を作って
自由ではありましたが

実は、楽しいと思うことは
ありませんでした。

「楽」だけど「楽しくはない」という感じです。

それは新しいビジネスをしたりしたら
違う感じになるのかなって
思っていたのですが

やっぱり何をやっても
楽しくないのです。

そんなときに
クライアントさんのおかげで

「俺は生産性ばかりを追求する
ロボットみたいな人間になっていた。」

「この3年間、俺は海江田和記じゃなくて
ロボ江田和記だった」

そう思いました。

そう思ったときに
急にトイレに行きたくなって
トイレが終わったときに

パッとトイレを覗いてみると
なんと・・・私の体の中から
「電池」が出てきたのです。

「やっぱりバッテリーで動いてたのかーーーーー!!!!」

「本当にロボットだったのかーーー!!」

と衝撃を受けました。

(すいません、ウソです)

では、なぜ生産性を追求しすぎると
ロボットみたいになってしまうのかというと

ロボ江田の経験によると
時間に「余白」がなくなるからです。

「無駄なく効率的に」を追求すると
時間に余白がなくなって
必要な話や必要なことしか
やらなくなります。

でも、人が笑ったり
新しい発見があったり
その人の人間性がわかるのって
無駄な会話をしている時ではないでしょうか?

私はこの3年ぐらい
その無駄がほとんどありませんでした。

でも、ここ最近、生産性を捨ててみると
相手の人間性がよーくわかるようになって
クライアントさんもプロデュースをしている人も
本当に人として大好きになっていきました。

今まで自分が知らなかった
その人のことを知ることで

「もっとこの人を世の中に広げていきたい」

と思うようになっていって

そこから、気づいたら
スケジュールがzoomでパンパンですが

今の方が何倍も
ロボ江田時代より楽しいです。

生産性を追いかけることは
悪いことではありませんが
生産性を追求したら
大事なものを見失う可能性があります。

そしてビジネスも余白の部分を
たくさん作った方が
結果的に成長していくと思います。

それに気づかせてくれた
クライアントさんには
本当に感謝をしています。

名前は言えませんが
ありがとう。

「宇野さん」